パラダイムシフト:憲法記念日だから考えてみようか

 やあやあ。全く技術的じゃない話でもしようか。

 

5/3が憲法記念日だから、最近世間で流行の憲法改正の話題から少し話を広げてみようと思う。

あ、別に護憲の立場でも改憲の立場でもない所からの話だから、派手さには欠ける話かもね。

 


 

憲法ってなんよ

権限の在り方、組織の在り方、統治の在り方、国の在り方を示したものであると私は解釈しています。

IT業界で言えば、案件開始前に取り決めされるマスタールール(コーディング規約やドキュメント規約等)のようなものだと解釈すれば良いんじゃないですかね?

 

 

日本国憲法ってどうやって作られたの?

第二次世界大戦後、戦後日本を統治下に置いたGHQの元に草案が作成され、旧憲法である大日本帝国憲法第七十三条に従い現行の日本国憲法を裁定したとされる。

この憲法はGHQが一方的に押し付けたものとされているが、草案をそのまま採用しているわけではなく、帝国議会にて一部修正を行った後に従来に規定された手続きにより更新されたとされる。

IT業界で言えば、システムのメジャーアップデートを、前もって用意しておいたアップデートロジックを使用して大幅に更新したと理解すれば良いんじゃないかな。

 

 

昨今の憲法改正論議

最近最も注目されているのが、日本国憲法第九十六条の改正である。

この条項は、大日本帝国憲法第七十三条によく似た性質を持っている。

 大日本帝国憲法 第七十三条

  1. 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
  2. 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

要約するとこんな感じかな。

「将来、この憲法を変える必要がある時が来たら、その案を議会に提出しなさい」「両議院(当時は「衆議院」と「貴族院」)で総員の2/3以上がちゃんと出席して、出席者の2/3が賛成したら改正して良いよ」

 

で、次は現行法

 日本国憲法 第九十七条

  1. この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
  2. 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

 大日本帝国憲法時代と比べて、改正条件が難しくなっていることが分かる。

先ず一つに、「出席者が総員の2/3以上で、且つ賛成が2/3以上」が「賛成が総員の2/3以上」になっている。

次に、「賛成は提案を行っても良いと言う許可であり、承認は国民が行い、且つ国民投票は有効票の内、過半数の賛成が必要である」としている。

では、今の政権はこのルールの何処を変えようとしているのか。

 

「賛成が総員の2/3以上から過半数に変更したい」

 

どうやら要約するとこのようになっているようだ。

総合すると、次のようなルールになる。

 

「国会の両議院で各々過半数の賛成をもって草案を提案し、その承認は国民が投票をもって行い、有効票の過半数の賛成を持って承認される」

 

正直、これでも十分なプロセスロジックになっていると思いますが、反対している方は「緩くなるのは嫌だ」と仰ってるようです。

私としては、そこよりももっと大きな問題があるように思いますけども。

 

 

憲法は誰の為のルールになるのか

現在の日本国憲法には国民主権が定義されている。

つまり、国家は国民の為にあり、国民が政治権力の拠り所になっていると言う点である。

この場合に説かれる国民とは、法の支配下に置かれる民を指す。要は日本に住んでる国籍が日本の人の事だろう。

つまり、国民主権が真に正しいのであれば、「国のルールは国民の手によって変えられる」という事になる。

 

IT業界で言えばこんなところか。

「この基幹系業務バッチの実行スケジュールは、顧客の運用ルールによって変更が可能である」

または

「このDBの毎日バッファに使用されたテーブルの削除運用は、顧客の手によって変更可能である」

他には

「このCOBOL

 

え? 嫌な記憶が蘇りそうだからCOBOLの話はやめろって?

Excelだったら良いのかn あ、石を投げるのは止めてください。

 

 

誰にも殺せないルール

IT業界では、運用を行い何かミスる毎に無意味な反省文と吊るし上げ、侮辱、罵倒、人間の尊g(ry ゲフンゲフン を受けると共に、必ず運用ルールなるものが追加されていきます。

このルールは、ある一定規模のものであれば実に良い働きをします。運用ルールは明文化され、誰にでも動かしていけるシステムを構築していくべきです。

 

ただ、この運用ルールは肥大化していきます。何時までも膨れ上がり、何処までも自由を奪い束縛し続けます。

また、ルールは時間と共に古くなり、実運用に耐えられなくなってきます。その為、条件が継ぎ接ぎに付け足され、条件要項が複雑に絡み合って膨れ上がり、一般人では理解が出来ないものになってきます。

 

そして、一番の害悪となるのが、どうしようもなくなったルールを削除し、作り直すことが出来ないと言う暗黙の了解です。

 

本当に必要な部分を、必要な人の手で変えられなくなったルールは、何の役にも立ちません。今後もそのルールは、実際に手を動かす人の首を絞め続けることでしょう。

 

 

必要な人が自ら変えられないルール

これが起きた時、システムは膠着します。動かないことを望む人もいます。

 

日本国憲法第九十七条を変えようとしている人も、変えさせないようにしようとしている人も、このルールだけは絶対に変えようとしてないんじゃないですかね。「(採用されるか否かは別として)草案発議を行う方法<プロセス>」を「国民<顧客>」に提案しようとしている人は、正直私はあまり知りません。

 

 

憲法論議とか色々起きてるけど、結局今何が起きようとしているの?

パラダイムシフトが始まってるのかなと私は思います。今までの常識や社会観念が全くの無価値になってしまうその瞬間が、じわりじわりと来ているんじゃないのかなと。

問題はその波が良い波なのか悪い波なのかですが、こればかりは分かりません。恐らく、生き残った人にとっては良い波で、飲み込まれてしまった人にとっては悪い波になるのでしょう。

 

「知らないよりは知っていた方が良い」

 

考えても損はないはずなので、たまには分野以外のことに目を向けてみるのも良いのかもしれません。いつも得をするのはシステムを作る側であって、使う側ではありません。

損をしない為にも、間違っていても良いからあれこれ考えることは悪いことじゃないんじゃないですかね。

 

 

まとめ

憲法記念日に家で一日ごろ寝して、酒を飲んでblogで好き勝手かけている内は、世は事もなしって事ですかね。

おっと、何とかネタが有効なうちに書ききれました。セーフ。

ではでは。